昨日、急遽宮城県石巻市を訪れました。その前日に自衛隊の方から
「石巻市の避難所で自衛隊の音楽隊が慰問演奏を行いますので、その前に現地の生徒さん達にノートをお渡しすることができますが、いらっしゃれますか?」
とご連絡を頂いたからです。もちろん
「はい、ぜひうかがわせていただきます!」
と即答しました。本当は生徒と一緒に行きたかったのですが、平日の夕方に慰問演奏が行われ、日帰りするのは難しそうだということで、私が学園を代表して現地へうかがいました。
(今回は、生徒たちが企画・開発したノートを被災地の方々に少しでも役立てていただきたいと、1000冊を寄贈させていただくことにしました。先日段ボールでその1,000冊を自衛隊の方に先にお送りしていたのです。)
演奏の前に時間があり、自衛隊の方々に被災した場所を見せていただきました。
火災で校内がほぼ全焼してしまった学校もありました。
他の学校ではコンクリートで頑丈に作ってあるはずの渡り廊下が津波で倒れてしまっていました。
小学校の中で、あの日のあの時間(地震の後に津波が来た時)で止まったままの時計がありました。あまりの悲しみに言葉を失いました。
テレビでも繰り返し放送された、石巻市の高台の丘の上には、今も亡くなられた方への花束がたくさんありました。自然の力の前に、無力さを感じました。
今回、自衛隊の方々に大変お世話になり、色々な場所を見せていただいたのですが、あらゆる行先で
「自衛隊のみなさん、本当に、本当にありがとう。お兄さんたちがいなかったら、私たちは助からなかった」とおっしゃる地元の方々にお会いしました。
そして、これらの場所を見せていただいた後、避難所である中学校に向かいました。
避難所では、自衛隊の音楽隊のみなさんが、慰問演奏を行っていて、今回はその演奏の前に現地の子どもたちに直接ノートをお渡しする機会を作っていただくことができました。(先ほどお伝えした大川小学校の校長先生にもノートをお渡ししました。)
私はどんな言葉をかけて良いのか、本当に分からないでいましたが、
「このノートは、本校の生徒たちが"女の子が使いたいな"と思うようなものを企画して作りました。今日は男の子もいるけれど、もし女の子っぽくて使えないなぁ、と思ったら、周りの方にあげてくださいね。」
と伝えたときに
「僕も使うよ!」
と元気に言ってくれた男の子の言葉に、逆に私が励まされました。また、演奏を聞いているときに、ござの上にそのまま正座していたら、近くの避難民の方が座布団を貸して下さいました。あまりの優しさに涙が出そうでした。
また、今回、ノートは東北で支援活動を行っている自衛隊のご家族200名にもお配りすることになりました。(皆さん、東北の出身の方々で、何ヶ月も肉体的にも精神的にも大変な任務についていらっしゃいます。)そのことに対して、国民の一人として心から感謝しているのですが、
師団長さんから、逆にこのようなものまで頂戴してしまいました。(本当に恐縮です。ありがとうございます。)
第6師団長さんから頂戴したメダル。大切にしたいと思います。
今回被災地を訪れて、この復興には本当に長い時間がかかると感じました。学園として今後も継続的に私たちのできることを行って一日でも早い復興の少しでもお手伝いができればと考えています。
なお、今回自衛隊の方々から現地の状況をまとめた写真集も頂戴しました。皆さんが見ることができる場所においておきますので、ぜひ手にとってみてください。