2012年11月28日水曜日

「自分自身がどうあるべきか」を問う茶道

先週末、本校茶道部の生徒たち(と顧問の先生)が「神奈川県高等学校文化連盟 茶道専門部 第18回高校生茶会」に参加しました。神奈川県内から53校が参加したそうですが、その時の様子を他校の校長先生がご覧になって

「高木学園の生徒さんたちが大変立派にお点前してくれました。」

とご連絡下さいました。

本校では茶道部がこのような活動を行っているだけでなく、在校生も全員在籍中に茶道の講座を受講します。そのようなこともあり、ここ1ヶ月くらいの間に改めて茶道に関する本を読んでみました。





一冊は岡倉天心氏の『茶の本(日本語訳)』、そしてもう一冊は武者小路千家の次期宗匠・千宗屋さんの『もしも利休があなたを招いたら - 茶の湯に学ぶ"逆説"のもてなし』です。







本校で生徒たち全員に茶道を学んでもらっていますし、現在いけばなを学んでいる私は、華道と茶道の密な関係(豊臣秀吉と千利休、そして池坊専好の関係を描いた、お知り合いの作家・鬼塚忠さんのご著書『花いくさ』(ご興味のある方は、詳しくはこちらをご覧ください)にぐいぐい引き込まれました)に大変興味を持っています。そこで、改めて"茶の道"とは何なのかを考えてみたかったのです。

本のなかで千宗屋さんがこう書かれていました。

"私の考える、お茶を学ぶということの最終的な目的は、自分自身を表現すること。お茶を通して自分という人間はどんな人間なのかを考え、形に表し、人にも伝えるということです。(中略)

そこには、その人の性格やものの考え方、積み重ねてきた経験といったものがすべて現れます。ふだんどういう生活をして、どんなことを考えていて、いままでどういう人生を歩んできたのか、そういうことが全部、お茶に反映されてくるのです。

そうなると(中略)その人のすべてがお茶に表れてくるということです。" (22ページ)

なるほど・・・と大変深く納得しました。(もちろん基本を身につけることはとても大切ですが)お茶の点て方や礼儀作法だけが問われるのではなく、自分自身の生きざまが反映されていくもの、それが"茶道"であるということです。(ですから、もうこれで完成、というような終わりは無い"遥かなる道"でもありますね。)

高校生の時期から自分自身がどのように生きていくかを考え、行動し、そしてお茶の席でそれらを表現していく、そのような経験を本校では大切にしていきたいと思います。(そして私自身も改めて、茶道もきちんと学んでみたいと思っています。)